「お主が手に入れるべき装束は、あとひとつ。思えば、その衣が、全てのはじまりであった」
古の吟遊詩人の装束を集めて来た私に、ジェアンテルさんは、そう語り始めた。
「戦場を捨てたとき、わしは黑衣森には戻らぬと誓った。にもかかわらず、おめおめと戻ってきたのは、跡継ぎを育てるのが目的だったのだ。おかしな話であろう? 誓いをあっさりと破ったきっかけは、期せずして、ある物が手元に戻ったことだった。それが、衣だ」
「数十年前、わしが確かに捨て置いた装束のひとつを、ウルダハの市場で見かけたときは驚いたものだ。⻑き時を経て再会するとは……これこそ、アルジクの導きだろう。償いとして、この衣にふさわしい者を育てよ…… そう言われていると直感して、買い取ったのだ」
そう言って、焚火に、薪を追加するジェアンテルさん。
その薪が、パチパチと小さく音を爆ぜさせる。
「ところがどうだ。黑衣森へ戻ったところで、わしを訪れる者は皆、弓術の指導ばかりを求める……プクノ・ポキに歌ってやることもせず、わしはまた、傲慢な思い違いをしたと感じ、立ち去る支度にとりかかった」
「そこに、お主が現れたのだ」
じっと火を見つめていた顔を上げ、私に視線を投げるジェアンテルさん。
「衣を買い取ったわしの直感は、間違ってはいなかった。こうして、お主と出会えたのだからな。そして、お主に出会ったおかげで、ようやく決断できた。仲間たちが散った地にて、わが詩歌を捧げるため……最後の旅へ出よう、とな」
そうして、ジェアンテルさんは、焚火を崩し、熾火にすると、立ち上がった。
「今日に至るまで、わしが殺してしまった仲間たちの魂を慰める詩歌を求めて、あらゆる地をさすらってきた……その鎮魂の詩歌を歌うべき場所は、わしが惨劇を引き起こした地……クルザス中央高地。そこに、わしを導いて欲しい」
ジェアンテルさんの言葉に、私は力強く頷いて応えたのだった。
クルザス中央高地にある、アドネール占星台。
そのすぐ近くに、その小さな墓碑はあった。
すっかり雪に覆われていた墓碑の雪を払うと、そこには幾人かの名前が刻まれていたのだった。
「ここが、わしが引き起こした、惨劇の犠牲となった仲間達が眠る場所……」
そう言いながら、竪琴を弾き鳴らし始めるジェアンテルさん。
その音色は、粉雪の舞う空に吸い込まれるように、風に乗っていく。
その時、ジェアンテルさんの曲に引き寄せられたのか、またしても、邪魔者が現れた。
「イクサル族…!!」
弓を構え、戦闘態勢をとる、私とジェアンテルさん。
しかし、やはり、ジェアンテルさんは、どうしても弓を引くことが出来ないみたい。
「死ぬな、イーディス!! もう、わしのせいで、大切な人を失いたくない!」
ジェアンテルさんの悲痛な願いの声を背中に受けながら、私は、迫り寄るイクサル族へと、矢を放ったのだった。
敵は、幻術を使うイクサル族を中心とした部隊だった。
定石通りに、私は、幻術を使うイクサル族に攻撃を集中させつつ、他のイクサル族やウルフの攻撃を避けながら戦った。
「あっ!?」
しかし、慣れない雪原の上での戦いは、非常に不安定で、足を取られそうになる事も何度かあった。
私がもたついている間にも、増援が現れて、敵は増えていく。
その時、背後から、聞き覚えの無い詩歌が聞こえて来た。
見れば、ジェアンテルさんが、竪琴を掻き鳴らしているのが見える。
「せめて……できることで最善を尽くそう。イーディスよ、わしのそばに来るのだっ!」
ジェアンテルさんの奏でた曲は、吟遊詩人としての技で、それを聞いているだけで、力が湧いてくるのを感じた。
実際、詩歌に込められた魔力が、傷を癒していくのを感じる。
伝説の吟遊詩人の戦歌の力に背中を押され、再び、気合の入った私は、足場の悪さの分、倍動く事で、そのハンデを埋めていったのだった。
やがて、全てのイクサル族を倒した私達は、やっと一息つくことが出来た。
ジェアンテルさんも、今度こそ、仲間を失うことなく戦いを乗り越えられたことに、深く、安堵した様だった。
「再びここに立つ日など、二度とこないかと思っていた……ずいぶんと⻑いこと、仲間たちを待たせてしまった……ありがとう、お主のおかげだ。さあ、わが命を込めた鎮魂の詩歌を、今こそ歌おう……」
戦いが終わったことを確認したジェアンテルさんは、花を手向けた墓碑に向き直ると、そう言って竪琴を取り出した。
私も、その詩歌を聞こうと、ジェアンテルさんの傍へと移動しようとした。
「……!!」
その時、息絶えていたと思っていたイクサル族が、突如身を起こし、襲い掛かって来た。
完全に油断していた私は、その振り上げられた剣を見上げる事しか出来ない。
「っ!!」
次に襲い掛かってくる痛みを予想し、私は思わず、固く目を閉じてしまった。
その瞬間、何かが空気を切り裂くような音が聞こえた。
直後に聞こえてくる、イクサル族の断末魔。
閉じていた目を開けると、目の前のイクサル族の胸に矢が突き刺さっているのが見えた。
「ジェアンテルさん…?」
後ろを振り向けば、唖然とした顔で、弓を放った姿勢のまま固まっている、ジェアンテルさんの姿があった。
「わしが……弓を……? なんということだ……!」
まるで信じられないものを見ているかのように、自分の両腕を見下ろすジェアンテルさん。
「……お主が、弓を撃たせてくれたのだ……ありがとう。お主の歌声……いや、存在そのものが、わしの魂を癒してくれていたのだな……」
やがて、そう言いながら、ジェアンテルさんは、笑みを浮かべたのだった。
『時神アルジクよ 時の流れを逆流させて すべての喜びを
御心のまま 我とこの者に 語りたまえ……
散った同朋へ 今を生きる あらゆる命へ
我らが歌うために……』
今度こそ、邪魔者もなく、ジェアンテルさんの鎮魂歌を聞くことが出来た。
それは懺悔の詩ではなく、散った仲間の分まで、今を生きるという意志の込められた、命の賛歌だった。
その歌声は、粉雪と共に、何処までも遠く、空へと舞い上がって行ったのだった。